2008年6月22日日曜日

第27回「逸脱に対する訓練」 ルカ10:41-42 ピリピ3:13-14

本日のテーマは「逸脱に対する訓練」です。あまり聞きなれない言葉ですが「逸脱」の意味を国語辞典で調べると「本筋や決まった範囲からそれること」とあります。つまり今日の学びは「的外れな人生を送らないための訓練」でもあるのです。ご存知のように「罪」の語源「ハマルティア」の意味は「的外れ」です。そう考えると、今日の訓練が、いかに大切であるかお分かりいただけると思います。私達はどのようにして「人生の本筋」を守り通すことが出来るのでしょうか…?

まず大切なのは、「二の次にすべきこと」に、固執しすぎないこと、です。これが結構難しいのです。どうでも良いことや、くだらないことであったら、固執することもないでしょう。しかし、くだらなくはなくても、「二番目ぐらいに大切なこと」には、結構、固執しすぎてしまうことがあるのではないでしょうか。少し回りくどい表現ですが、その分かりやすい例として、マルタを上げることが出来ます。

マルタは、イエス様をもてなすために忙しくしていました。それ自体は良いことでしたが、「最も大切な第一とすべきこと」ではありませんでした。むしろ「どうしても必要なただ一つのこと」を選択したのは、妹のマリヤだったのです。彼女はイエス様の足元にすわり、ただ御言葉に聞き入っていました。マルタは忙しくするあまり、そちらをおろそかにし、妹からそれを取り上げようとしていたのです。

エドマン博士はこう指摘します。「イエス様はもちろん、マルタの善意をよく理解しておられました。しかしイエス様は、おかずの数は減らしてもよいから、永遠のことについて語り合いたい、そして御言葉に耳を傾けて欲しいと願われていたのです。私達も同じような間違いを犯していないでしょうか。『良いこと(good)』にこだわりすぎて『最も大切なこと(best)』をおろそかにしていないでしょうか。『どうしても必要なことは、ただ一つ』です。それを見失ってはいけません。」

またパウロは言いました。「私はただこの一事に励んでいます。すなわち後ろのものを忘れ…」と。イザヤ書にも「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よわたしは新しい事をする。今やそれは芽生えている(43:18-19)」とあります。それがどんな過去であれ、過去にこだわってしまうとき、私達は本来の目標を見失い、いつの間にか「わき道」へと迷い込んでしまうことがあるのです。試してみてください。首から上だけは後ろを向きながら、まっすぐ走れますか?

大切なのは、しっかり前を向き「目標を目ざして一心に走ること」です。私達にはまだ「先」があります。過去を振り返り哀愁にひたっている暇はありません。私たちが目指しているのは、キリストご自身から与えられるところの「栄冠」なのです。それは試練に耐え抜き、良しと認められた人にだけ与えられるのです(ヤコブ1:12)。先に天に召された主にある兄弟姉妹も、私たちが悲しみにくれるより、立派に信仰の道を走り、栄冠をかむって、御国にて再会することを望んでいるでしょう。

パウロとマリヤには、共通点がありました。それは彼らが、今なすべき「ただ一つのこと」を、しっかり心得ていたということです。そして彼らは、そこから目を離さず、「ただその一事」に励んでいたのです。◆あなたはどうでしょうか?あなたの人生は、的を射た人生でしょうか?それとも、的外れな人生でしょうか?◆あなたの心を占領しているそのことは、今、本当になすべきことでしょうか?永遠の前に、どれほど価値のあることでしょうか?◆どうか私達の人生が、逸脱ではなく、栄冠へと続く人生でありますように。

「兄弟たちよ。私は、ただ、この一事に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、
目標を目ざして一心に走っているのです。」
ピリピ3章13-14節(要約)