2007年11月22日木曜日

第13回「欲望に対する訓練」

今回のテーマは「欲望に対する訓練」ですが、この世には、様々な欲望が渦巻いているのではないでしょうか?以前もお話しましたが、私が牧師になる時、ある老齢の牧師がこのようなアドヴァイスを下さいました。「川村さん、あなたが牧師になったら、私も気をつけていることですが、特に三つの『欲』に気をつけなさい。それは「金銭」「名誉」「性欲」ですよ」と。驚いてしまいました。なぜならその先生はとても聖く、そのような欲望とは無関係のように思えたからです。

私達は誰もがこの『欲望』とは無関係ではありません。自分の心を「映写機で移しても平気」と言える人がどれくらいいるでしょうか?私達の心の中には「欲望」が、台風のごとく渦巻いているのです。聖書の中には「肉の欲」のリストとして「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」などが上げられていますが、はっきり言って、そのような者が、そのままで「神の御国に入ることはない(ガラ5:19-21)」のです。

また聖書には「世を愛してはなりません(Ⅰヨハ2:15)」とも書いてあります。でもおかしくはないでしょうか?ヨハネ3章16節には「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」とあるではありませんか。しかし同じ「世を愛する」という言葉でも、その意味するところは全然違うのです。神様がこの世を愛される場合、罪にまみれた世界を、悲しみをもって愛しておられるのですが、私たちの場合はそういった悲しみなどなく、この世を「溺愛」してしまうのです。

ジョンウェスレーはこう言いました(p136)。「何でも、キリストに対する私達の愛を冷やしてしまうものが『世』である」と。つまり、あまりにも熱中しすぎて、イエス様を忘れさせてしまうもの、そして霊的な飢え渇きをマヒさせてしまうもの、それが私達にとっての「世」なのです。「読書」「スポーツ」「趣味」など本来は健全なものでも「世」となってしまいます。ふと気づくとそのことばかりを考えていて、聖書の話が心に響かなくなったら黄信号です。あなたは大丈夫ですか?

もし欲望の罠にはまってしまったら、どうしたらよいのでしょう?答えは「逃げなさい!」です。聖書には「たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい(Ⅰペテ2:11)」「悪はどんな悪でも避けなさい(Ⅰテサ5:22)」とあります。逃げるなんて臆病だと思いますか?そうではありません。自分の「弱さ」を認め、逃げることの方が勇気のいることなのです。また、誘惑する人にも近づいてはいけません。聖書にはこうあります。「彼らの仲間になってはいけません(エペソ5:7)」と!

その上で、人をも誘惑してはいけません。あなたにとっては平気なことであっても、他の人には誘惑となることだってあります。あなたにとっては、お酒を飲むことが平気なことであっても、それを勧める事によって、相手が深刻な影響を受けてしまうことだってあるのです。また同じ理由で、女性は肌の露出をしすぎないよう服装に気をつけるべきでしょう。クリスチャンは、律法主義ではなくて、弱い人への配慮から、自分の権利を控えるべきなのです。聖書にはこうあります。「この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです(ルカ17:2)」と。

もしもあなたの心が欲望に負けそうになったら、早めに、それを明るみに出しなさい。それを神様の御前に告白し、信頼できるクリスチャンに何度も何度も祈ってもらいなさい。◆もし失敗してしまっても、それを何度も繰り返しなさい。一度誘惑に負けた人は、人一倍誘惑も強く感じるものです。一人で暗闇を歩み続けるより、光の子らと共に歩むのです!

こうしてあなたがたは、地上の残された時を、
もはや人間の欲望のためではなく、
神のみこころのために過ごすようになるのです。(Ⅰペテロ4:2)